町の位置・歴史・町章

町の位置

長瀞町は埼玉県の西北部、秩父山系の関門に位置し、町の中央を縦貫して流れる荒川の両岸に細長く開けた町です。

長瀞町の総面積は30.43平方キロメートルありますが、そのうち約60%が山林で占められています。また、四方を宝登山(標高497.1メートル)、不動山(標高549.2メートル)、陣見山(標高531.0メートル)、釜伏山(標高538.6メートル)といった山々に囲まれ、これらの山を源とする沢は、それぞれ荒川に流入しています。

長瀞町は町の全域が、県立長瀞玉淀自然公園区域に指定されています。特に旧親鼻橋から旧高砂橋に至る荒川の両岸は、名勝及び天然記念物保存区域として指定されており、なかでも岩石段丘、いわゆる『岩畳』の広がる長瀞渓谷は、地質の宝庫として貴重な天然資源を誇っています。

町の歴史

長瀞町は、昭和47年11月1日の町名変更によって発足した、名勝及び天然記念物『長瀞』を象徴した町です。

古くは農業を中心として発展した町でしたが、明治44年に秩父鉄道が開通すると、秩父の表玄関として商業・工業が発展するのにあわせ、観光客の大幅な増加によって観光地として有名になりました。

その昔、荒川を境として東が忍領(おしりょう)、西が御料所でしたが徳川時代となってから幾多の変遷を経たのち、明治元年岩鼻(いわはな)県、明治4年群馬県、明治4年入間県、明治6年熊谷県となり、明治9年埼玉県に併合されました。

明治22年町村制が施行となり、本野上村・中野上村・藤谷淵村が野上村に、野上下郷・矢那瀬村が樋口村に、岩田村・井戸村・下田野(しもたの)村・金尾村・風布(ふうぷ)村・が白鳥(しらとり)村になりました。

その後野上村が、昭和15年2月15日に町制を施行し、さらに昭和18年9月8日、野上町と樋口村、白鳥村の一部が合併して、新しい野上町が誕生しました。

そして、昭和47年11月1日名称を「長瀞町」と変更して、現在にいたっています。

町章・町の花・木・鳥

町章

町章は、町名のカタカナ標記の頭文字「ナ」を図案化したものです。
制定年月日は、昭和47年11月1日です。

シンボルマーク

シンボルマークは、町名のカタカナ表記の頭文字「ナ」に、人も社会も自然もすべてがはつらつとしているイメージを加えて、図案化されたものです。
使用の際は下記ガイドラインを遵守してください。

町の花・木・鳥

花は「さくら」、木は「もみじ」・鳥は「せきれい」です。
制定年月日は、昭和57年11月1日です。

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